例によってCDは1種類購入。配信購入でカップリング曲も全曲揃えて、毎日聴いている。今回は珍しくタイトル曲が一番気に入った。
タイトルが長いこの曲、いかにもAKBグループらしい曲調、歌詞で、キャッチーな曲だ。聴くほどにグイグイ惹きつけられる感じがする。新たなAKBの代表曲になりうるのではないか。しかし、その反面、ちょっとした違和感のようなものもいくつか感じられて、落ち着かない気持ちになった。
1.そんなに長いタイトルがついているのはなぜだ。
2.前サビの後のイントロで「チャンチャカチャチャチャチャ・・・」というふざけたスキャトが入るのはなぜだ。
3.「今はまだ好きと叫ばない」という歌詞なのに、エンディング前の間奏で「スキ(スキ)スキ(スキ)大好きだ」と叫んでいるのはなぜだ。
4.ミュージックビデオやテレビ番組で見る、モノトーンの衣装がひどく地味なのはなぜだ。
5.右上空を指さしてピョンピョン跳ぶとか、振り付けがどこかコミカルなのはなぜだ。
1.については「ひとことでは言い表せないような複雑な感情を表現しようとしたらこうなった」というような秋元康本人の説明をどこかで読んだような気がする。でも、タイトルでそこまで言ってしまったら、歌そのものでそれ以上歌うことがなくなってしまうのではないか。「ひとことでは言い表せないような」ものを3分間とか4分間をかけて伝えるのが歌なのではないのだろうか。
この曲の場合、タイトルで言う「結論のようなもの」とは「好きと叫ぶにはまだ早い このままでいよう」ということだろう。色々悩んで出した結論だということは言われなくてもわかる。タイトルが饒舌な分、底が浅くなっているような気がする。
長いタイトルの略称として普及している『鈴懸なんちゃら』を使い始めた人は、そういう底の浅さを揶揄するような批判精神もあったのだと思われ、私も今後その略称を使用することにする。
2.は全く意図不明だ。昔流行った『演歌チャンチャカチャン』のようだ。内省的なタイトル、歌詞には不似合いなふざけ方だ。無理に推察するなら、あまりに良く出来た曲なので、照れ隠しに少しふざけてみたというところだろうか。
3.は単に盛り上げのためだろう。ファンとの掛け合いで盛り上げるのは常套手段で、特に最近のシングル曲には不可欠かのように思われているが、私は疑問だ。曲の流れの中で、自然に声を上げて応援できる場所があることはいいと思うが、曲の流れや詞の内容を無視して入れ込まれた意図的な「盛り上げどころ」には引いてしまう。
この曲は、同じ松井珠理奈がセンターだった『大声ダイアモンド』のアンサーソングであることは明白で、かつて「大好きだ 大好きだ 僕は全力で叫ぶ」と歌ったことと対比して「好きと叫ぶにはまだ早い」と歌っていることが狙いであるはずだ。それなのに、曲の山場で「スキ(スキ)スキ(スキ)大好きだ」とは矛盾していないか。この部分は、口に出せない心の叫びなのだと解釈するしかない。
4.はよくわからない。ああいうファッションが流行していて格好いいのかもしれないが、若々しいフレッシュなメンバーが揃っているのだから、普通の可愛らしい衣装でよかったのではないか。
5.もよくわからない。しかし、コミカルだが印象に残るのは確かだ。『恋するフォーチュンクッキー』に続いて、振り付けを真似してもらおうという意図でもあったのだろうか。あるいは、一緒に練習する時間も少ない「じゃんけん選抜」ゆえ、難易度の高いダンスよりも、覚えやすい簡単な振り付けを意図した結果、ああなったのかもしれない。
こうした違和感はありつつも、とても気に入っているのは冒頭に書いたとおりだ。
これまでのAKBグループの名曲を想起させるようなフレーズも随所に散りばめられており、ファン心理をくすぐる。
全体として『大声ダイアモンド』のアンサーソングなのだが、「大声で笑う君」というフレーズもある。
「コンビニがなくなって」とは、『Seventeen』で街の景色がいつの間にか変わることと、彼女の実家の酒屋がコンビニになったことを想起させる。
「木漏れ日が揺れる鈴懸の道」とは、『恋を語る詩人になれなくて』の彼女が、「楡の木陰」で詩集を読んだ後に立ち去る時「後ろ姿に木漏れ日」が当たっていた光景をフラッシュバックさせる。その歌も「好き」と語らない歌だった。
「君の微笑みを夢に見る」とは、色々な歌にありそうなフレーズだが、最近では『君だけにChu!Chu!Chu!』でも「夢でもう一度会うんだ」と歌っていた。
そして幼なじみがいつかゆっくり恋人に変わって行くという理想的な展開を描いた歌は、柏木由紀『ショトートケーキ』がそうだった。『鈴懸なんちゃら』の二人の関係も、時間をかけて熟成すれば『ショトートケーキ』のようになるのかと思われる。
こうした過去の名曲を多数連想させる曲だという意味で、過去の演歌の名曲のフレーズを繋ぎ合せた『演歌チャンチャカチャン』のようなスキャットを入れたのかもしれない、というのは深読みに過ぎるだろうか。
タイトルが長いこの曲、いかにもAKBグループらしい曲調、歌詞で、キャッチーな曲だ。聴くほどにグイグイ惹きつけられる感じがする。新たなAKBの代表曲になりうるのではないか。しかし、その反面、ちょっとした違和感のようなものもいくつか感じられて、落ち着かない気持ちになった。
1.そんなに長いタイトルがついているのはなぜだ。
2.前サビの後のイントロで「チャンチャカチャチャチャチャ・・・」というふざけたスキャトが入るのはなぜだ。
3.「今はまだ好きと叫ばない」という歌詞なのに、エンディング前の間奏で「スキ(スキ)スキ(スキ)大好きだ」と叫んでいるのはなぜだ。
4.ミュージックビデオやテレビ番組で見る、モノトーンの衣装がひどく地味なのはなぜだ。
5.右上空を指さしてピョンピョン跳ぶとか、振り付けがどこかコミカルなのはなぜだ。
1.については「ひとことでは言い表せないような複雑な感情を表現しようとしたらこうなった」というような秋元康本人の説明をどこかで読んだような気がする。でも、タイトルでそこまで言ってしまったら、歌そのものでそれ以上歌うことがなくなってしまうのではないか。「ひとことでは言い表せないような」ものを3分間とか4分間をかけて伝えるのが歌なのではないのだろうか。
この曲の場合、タイトルで言う「結論のようなもの」とは「好きと叫ぶにはまだ早い このままでいよう」ということだろう。色々悩んで出した結論だということは言われなくてもわかる。タイトルが饒舌な分、底が浅くなっているような気がする。
長いタイトルの略称として普及している『鈴懸なんちゃら』を使い始めた人は、そういう底の浅さを揶揄するような批判精神もあったのだと思われ、私も今後その略称を使用することにする。
2.は全く意図不明だ。昔流行った『演歌チャンチャカチャン』のようだ。内省的なタイトル、歌詞には不似合いなふざけ方だ。無理に推察するなら、あまりに良く出来た曲なので、照れ隠しに少しふざけてみたというところだろうか。
3.は単に盛り上げのためだろう。ファンとの掛け合いで盛り上げるのは常套手段で、特に最近のシングル曲には不可欠かのように思われているが、私は疑問だ。曲の流れの中で、自然に声を上げて応援できる場所があることはいいと思うが、曲の流れや詞の内容を無視して入れ込まれた意図的な「盛り上げどころ」には引いてしまう。
この曲は、同じ松井珠理奈がセンターだった『大声ダイアモンド』のアンサーソングであることは明白で、かつて「大好きだ 大好きだ 僕は全力で叫ぶ」と歌ったことと対比して「好きと叫ぶにはまだ早い」と歌っていることが狙いであるはずだ。それなのに、曲の山場で「スキ(スキ)スキ(スキ)大好きだ」とは矛盾していないか。この部分は、口に出せない心の叫びなのだと解釈するしかない。
4.はよくわからない。ああいうファッションが流行していて格好いいのかもしれないが、若々しいフレッシュなメンバーが揃っているのだから、普通の可愛らしい衣装でよかったのではないか。
5.もよくわからない。しかし、コミカルだが印象に残るのは確かだ。『恋するフォーチュンクッキー』に続いて、振り付けを真似してもらおうという意図でもあったのだろうか。あるいは、一緒に練習する時間も少ない「じゃんけん選抜」ゆえ、難易度の高いダンスよりも、覚えやすい簡単な振り付けを意図した結果、ああなったのかもしれない。
こうした違和感はありつつも、とても気に入っているのは冒頭に書いたとおりだ。
これまでのAKBグループの名曲を想起させるようなフレーズも随所に散りばめられており、ファン心理をくすぐる。
全体として『大声ダイアモンド』のアンサーソングなのだが、「大声で笑う君」というフレーズもある。
「コンビニがなくなって」とは、『Seventeen』で街の景色がいつの間にか変わることと、彼女の実家の酒屋がコンビニになったことを想起させる。
「木漏れ日が揺れる鈴懸の道」とは、『恋を語る詩人になれなくて』の彼女が、「楡の木陰」で詩集を読んだ後に立ち去る時「後ろ姿に木漏れ日」が当たっていた光景をフラッシュバックさせる。その歌も「好き」と語らない歌だった。
「君の微笑みを夢に見る」とは、色々な歌にありそうなフレーズだが、最近では『君だけにChu!Chu!Chu!』でも「夢でもう一度会うんだ」と歌っていた。
そして幼なじみがいつかゆっくり恋人に変わって行くという理想的な展開を描いた歌は、柏木由紀『ショトートケーキ』がそうだった。『鈴懸なんちゃら』の二人の関係も、時間をかけて熟成すれば『ショトートケーキ』のようになるのかと思われる。
こうした過去の名曲を多数連想させる曲だという意味で、過去の演歌の名曲のフレーズを繋ぎ合せた『演歌チャンチャカチャン』のようなスキャットを入れたのかもしれない、というのは深読みに過ぎるだろうか。