「渡辺麻友のアイドルとしてのピークは過ぎたのか?」
という記事を掲載したら、早速KCさんから
「松田聖子の全盛、前田敦子の全盛、渡辺麻友の全盛」という返答があった。
マリパンダさんからは「小泉今日子のピークも論じてほしい」とのコメントがあった。
という訳で続編である。
KCさんは、松田聖子の『赤いスイートピー』や『SWEET MEMORIES』はアイドルらしくない大衆に媚びた曲だと言うが、私はそうは思わない。
『赤いスイートピー』はピュアな恋心を歌ったユーミンの曲で、確かに分かりやすく一般受けし過ぎるきらいもあるが、いいものはいいし、当時聴いて切ない気持ちになった。B面が同じユーミンの卒業ソング『制服』で、髪をアップにしたジャケット写真も魅力的で、アイドル的魅力にあふれたレコードだと思っていた。『SWEET MEMORIES』は、確かにビールのCM曲として世に出た時は歌手名が伏せられていて、アイドルではない「歌手」を前面に出していた印象はある。しかし、聖子がテレビで歌う時には紛れもないアイドル性を感じた。
私が、松田聖子の曲をアイドル性が低いと感じたのは『DANCING SHOES』以降であり、1985年の『天使のウインク』『ボーイの季節』まで長いピークが続いたと見る。
KCさんと私のアイドル性の感じ方の違いだろうが、スローな曲、歌唱力が際立つ曲は全てアイドル性が低いということではないと思う。アイドル性とは、本人の持つ魅力を素のまま前面に押し出すこと、どんな曲を歌おうが、どんなに歌が下手だろうが、逆に上手だろうが、滲み出てしまうオーラのようなものではないか。
アイドル原理主義者であるKCさんに言わせれば、よりピュアにアイドル性が感じられる曲以外は、大衆に媚びた曲ということになるのだろう。映画として面白過ぎる映画が「アイドル映画」としては劣っているというのと同じ論理だが、私はそこまでストイックにはなれない。
別の例を思いついたので加筆する。生魚は刺身で食べるのが一番だが、生野菜と合えてドレッシングをかける「カルパッチョ」もそれはそれで美味しいので、私は許容する。
山口百恵の『横須賀ストーリー』が引き合いに出されている。
確かに、『青い果実』や『ひと夏の経験』のようなそれまでの曲とは全く異なる曲である。百恵本人の魅力(「幼い可愛らしさ」や「大人びたセクシーさ」、「そのアンビバレンツな魅力」)のみに頼らずに、楽曲の力で訴求するという意味で、大衆に媚びた曲と言える。しかし、それでも百恵自身の魅力は隠しようもなく現れていて、アイドル性を損ねてはいなかったと考える。
また、『横須賀ストーリー』の後も、『夢先案内人』『乙女座宮』といった、わかりやすいアイドル性のある曲も歌っている。さすがに最晩年の『愛染橋』『謝肉祭』『さよならの向う側』あたりはアイドル性は高くないと認める。
小泉今日子はどうだろう。
私は1983年の『まっ赤な女の子』『半分少女』『艶姿ナミダ娘』三部作がピークだと思うが、その後も1984年の『ヤマトナデシコ七変化』、1985年の『なんてったってアイドル』、1986年の『木枯らしに抱かれて』などなど、アイドル性の高い曲を多数連発している。さまざまな曲調の歌を出すことで飽きさせなかったことと、歌唱技術がいつまでも上達しなかったことが、長いピークを維持した要因ではないかと考える。
ややアイドル性が損なわれたと感じたのは、1989年の『学園天国』のカバーあたりだ。アーティスト色を出してきたし、文化人からの人気が妙に高くなったのもこの頃からではなかったか。
そこで渡辺麻友だ。
ソロシングル曲は最近まで出していないため、公演曲や渡り廊下走り隊での楽曲も含めて並べる。
2008年『パジャマドライブ』。
2009年『残念少女』『初恋ダッシュ』『完璧ぐ〜のね』。
2010年『初恋よこんにちは』『青春のフラッグ』。
2011年『バレンタインキッス』『へたっぴウインク』。
2012年『シンクロときめき』『さばドル』(ドラマ)『大人ジェリービーンズ』『ヒカルものたち』。
2013年『So long!』『ラッパ練習中』。
KCさんが言うように、2012年まで高いレベルのアイドル性をキープして来たことに異論はない。2013年は失速と言うが、2014年成人式での赤い振袖姿は、清楚でいて艶やか、目を見張るものがあった。松田聖子や小泉今日子のピーク時年齢と比べてもまだまだ若い。更に新しいアイドル性を見せてほしいものだ。
という記事を掲載したら、早速KCさんから
「松田聖子の全盛、前田敦子の全盛、渡辺麻友の全盛」という返答があった。
マリパンダさんからは「小泉今日子のピークも論じてほしい」とのコメントがあった。
という訳で続編である。
KCさんは、松田聖子の『赤いスイートピー』や『SWEET MEMORIES』はアイドルらしくない大衆に媚びた曲だと言うが、私はそうは思わない。
『赤いスイートピー』はピュアな恋心を歌ったユーミンの曲で、確かに分かりやすく一般受けし過ぎるきらいもあるが、いいものはいいし、当時聴いて切ない気持ちになった。B面が同じユーミンの卒業ソング『制服』で、髪をアップにしたジャケット写真も魅力的で、アイドル的魅力にあふれたレコードだと思っていた。『SWEET MEMORIES』は、確かにビールのCM曲として世に出た時は歌手名が伏せられていて、アイドルではない「歌手」を前面に出していた印象はある。しかし、聖子がテレビで歌う時には紛れもないアイドル性を感じた。
私が、松田聖子の曲をアイドル性が低いと感じたのは『DANCING SHOES』以降であり、1985年の『天使のウインク』『ボーイの季節』まで長いピークが続いたと見る。
KCさんと私のアイドル性の感じ方の違いだろうが、スローな曲、歌唱力が際立つ曲は全てアイドル性が低いということではないと思う。アイドル性とは、本人の持つ魅力を素のまま前面に押し出すこと、どんな曲を歌おうが、どんなに歌が下手だろうが、逆に上手だろうが、滲み出てしまうオーラのようなものではないか。
アイドル原理主義者であるKCさんに言わせれば、よりピュアにアイドル性が感じられる曲以外は、大衆に媚びた曲ということになるのだろう。映画として面白過ぎる映画が「アイドル映画」としては劣っているというのと同じ論理だが、私はそこまでストイックにはなれない。
別の例を思いついたので加筆する。生魚は刺身で食べるのが一番だが、生野菜と合えてドレッシングをかける「カルパッチョ」もそれはそれで美味しいので、私は許容する。
山口百恵の『横須賀ストーリー』が引き合いに出されている。
確かに、『青い果実』や『ひと夏の経験』のようなそれまでの曲とは全く異なる曲である。百恵本人の魅力(「幼い可愛らしさ」や「大人びたセクシーさ」、「そのアンビバレンツな魅力」)のみに頼らずに、楽曲の力で訴求するという意味で、大衆に媚びた曲と言える。しかし、それでも百恵自身の魅力は隠しようもなく現れていて、アイドル性を損ねてはいなかったと考える。
また、『横須賀ストーリー』の後も、『夢先案内人』『乙女座宮』といった、わかりやすいアイドル性のある曲も歌っている。さすがに最晩年の『愛染橋』『謝肉祭』『さよならの向う側』あたりはアイドル性は高くないと認める。
小泉今日子はどうだろう。
私は1983年の『まっ赤な女の子』『半分少女』『艶姿ナミダ娘』三部作がピークだと思うが、その後も1984年の『ヤマトナデシコ七変化』、1985年の『なんてったってアイドル』、1986年の『木枯らしに抱かれて』などなど、アイドル性の高い曲を多数連発している。さまざまな曲調の歌を出すことで飽きさせなかったことと、歌唱技術がいつまでも上達しなかったことが、長いピークを維持した要因ではないかと考える。
ややアイドル性が損なわれたと感じたのは、1989年の『学園天国』のカバーあたりだ。アーティスト色を出してきたし、文化人からの人気が妙に高くなったのもこの頃からではなかったか。
そこで渡辺麻友だ。
ソロシングル曲は最近まで出していないため、公演曲や渡り廊下走り隊での楽曲も含めて並べる。
2008年『パジャマドライブ』。
2009年『残念少女』『初恋ダッシュ』『完璧ぐ〜のね』。
2010年『初恋よこんにちは』『青春のフラッグ』。
2011年『バレンタインキッス』『へたっぴウインク』。
2012年『シンクロときめき』『さばドル』(ドラマ)『大人ジェリービーンズ』『ヒカルものたち』。
2013年『So long!』『ラッパ練習中』。
KCさんが言うように、2012年まで高いレベルのアイドル性をキープして来たことに異論はない。2013年は失速と言うが、2014年成人式での赤い振袖姿は、清楚でいて艶やか、目を見張るものがあった。松田聖子や小泉今日子のピーク時年齢と比べてもまだまだ若い。更に新しいアイドル性を見せてほしいものだ。