アーモンドクロワッサン計画 解釈編「修業したのは女の子?」(ナッキー)
ときめき研究家さんの指摘:
ラーメンのCM覚えています。
男女の役割固定を想起させることは、私も少し気になりました。今でもこの曲もシングルだったら議論を呼ぶでしょう。
それからもう1つ。「儲かってはいないけど なんか幸せそう」部分も、儲かってはいないと決めつけていることに違和感があります。行列ができるくらい流行っているのだから、案外利益は出ているのでは。本来「儲かっていないかもしれないけど」と言うべきところ、字数が合わなかったのでしょう。
ナッキーの解釈:
列が長くて、18才の現在の私が買いにいく国道をちゃりんこで買いに行くベーカリーは「儲かっている」と思われる。
つつましく「儲かっていない」のは、将来の私が、あなたがなるパン職と二人で「地元密着型で」「きりもりしている」「朝から晩まで働いている」パン屋さん。
私の解釈の難点は、二番の歌詞、「いつか私たちも、こんなカップルになりたい」と現在のベーカリーを評して、「儲かっていない」「きりもりしている」と言っている点。
論理的矛盾を解決するには、「こんなカップルになりたい」は、一番の歌詞前半と、二番の冒頭「仲がいい夫婦、二人できりもりしている」にだけかかっているとする。文学的表現は、必ずしも論説文のようではないから。
「修業したのは女の子?」という話題:
何故、主人公(18才女性)は、自らパン職人を目指さないのだろう、という疑問を持つ一方、
「振り向けば、妄想がきっかけ、たがパンだと思って、修業」したのは、ボーイフレンドの彼なのか、主人公の彼女なのか、
「されど、奥が深かった」と続くので、一人称で主人公の彼女と解釈しているのが自然。
女の子も修業したのだけど挫折して、パン職人になれたのは結婚した相手の男性、つまり二人で修業したというスストーリーも成立する?
「されど奥が深かった」この後に続く歌詞を何回聴いても分からなかったが、「(クロワッサンを)ほおばれば笑顔になる」
「笑顔になる」が「営業になる」に聴こえて、パンを売るために近所に売り込みに行ったのかと勘違い。
「あらがっても」「月日はすぎていくし」という表現が古風。「抗っても」と書く。
ヘッドホーンで聴くと、アレンジのよさ。リズムがとても心地よい。
ナッキー
ときめき研究家さんの指摘:
ラーメンのCM覚えています。
男女の役割固定を想起させることは、私も少し気になりました。今でもこの曲もシングルだったら議論を呼ぶでしょう。
それからもう1つ。「儲かってはいないけど なんか幸せそう」部分も、儲かってはいないと決めつけていることに違和感があります。行列ができるくらい流行っているのだから、案外利益は出ているのでは。本来「儲かっていないかもしれないけど」と言うべきところ、字数が合わなかったのでしょう。
ナッキーの解釈:
列が長くて、18才の現在の私が買いにいく国道をちゃりんこで買いに行くベーカリーは「儲かっている」と思われる。
つつましく「儲かっていない」のは、将来の私が、あなたがなるパン職と二人で「地元密着型で」「きりもりしている」「朝から晩まで働いている」パン屋さん。
私の解釈の難点は、二番の歌詞、「いつか私たちも、こんなカップルになりたい」と現在のベーカリーを評して、「儲かっていない」「きりもりしている」と言っている点。
論理的矛盾を解決するには、「こんなカップルになりたい」は、一番の歌詞前半と、二番の冒頭「仲がいい夫婦、二人できりもりしている」にだけかかっているとする。文学的表現は、必ずしも論説文のようではないから。
「修業したのは女の子?」という話題:
何故、主人公(18才女性)は、自らパン職人を目指さないのだろう、という疑問を持つ一方、
「振り向けば、妄想がきっかけ、たがパンだと思って、修業」したのは、ボーイフレンドの彼なのか、主人公の彼女なのか、
「されど、奥が深かった」と続くので、一人称で主人公の彼女と解釈しているのが自然。
女の子も修業したのだけど挫折して、パン職人になれたのは結婚した相手の男性、つまり二人で修業したというスストーリーも成立する?
「されど奥が深かった」この後に続く歌詞を何回聴いても分からなかったが、「(クロワッサンを)ほおばれば笑顔になる」
「笑顔になる」が「営業になる」に聴こえて、パンを売るために近所に売り込みに行ったのかと勘違い。
「あらがっても」「月日はすぎていくし」という表現が古風。「抗っても」と書く。
ヘッドホーンで聴くと、アレンジのよさ。リズムがとても心地よい。
ナッキー