AKB48のアルバムには苦戦したが、欅坂の新曲については書きたいことが次々に浮かんでくる。私はフラットに聴いているつもりなので、やっぱり楽曲のクオリティが高いのだろうか。
『ガラスを割れ!』。
欅坂お得意のメッセージソングだ。飼い慣らされた犬にならず、ガラスを割って外に飛び出せという比喩が全編続いている歌詞だ。
『サイレントマジョリティー』や『不協和音』と比べると、この曲の特徴は大衆性だ。歌詞がわかりやすいし、サビのメロディーが非常に大衆的だ。「目の前のガラスを割れ 握りしめた拳で」という部分など、カラオケで気持ちよく歌えそうだ。「騒げ」「叫べ」「生きろ」という合いの手にはその気持ちよさを破る違和感があり、それが欅坂らしさか。
犬に喩えた歌詞と言えば、古いが小椋佳『さらば青春』を思い出す。ガラスを割る歌詞と言えば、尾崎豊『卒業』を思い出す。あるいは最近よく言われる「女性にはガラスの天井がある」という比喩。そのような、普遍的に歌われ語られてきた「閉塞感を打ち破れ」というわかりやすいテーマを歌ったメッセージソングである。曲の細部まで気が配られていて、完成度の高い曲だと思う。
『ゼンマイ仕掛けの夢』。
カップリング曲で一番気に入っているのはこの曲だ。ゆいちゃんずの2人によるデュエット曲だが、過去の2人の曲と同様フォークソング調で、親しみやすいサウンドだ。
しかし、歌詞は非常に陰鬱で救いようのない暗い青春を歌っている。大学に合格し、田舎に恋人を残して上京したが、すぐに自堕落な生活に陥り自信喪失してしまっている男。これは30数年前の私のことだ。「講義をサボりずっとアパートで寝ていた」「バイトと遊びに明け暮れ、少し悪いこともした」自分は人生の落伍者で、君にはふさわしくないからもう忘れてくれと歌っている。
「片方が上京した恋人たちはやがて別れる」という定理を『木綿のハンカチーフの呪縛』と呼んでいるが、この曲もまたその定理をテーマとしている。欅坂46は『青空が違う』で、この定例に抗って別れないカップルの歌を歌ったが、今回は定理通りに別れてしまいそうなカップルの歌だ。
それにしてもこの男は悲観的過ぎる。田舎では秀才と言われ、意気揚々と上京したが、その出鼻をくじかれたのだろう。それだけで人生全部を悲観してしまう必要はないのだが、上京前の人生と比べてあまりの格差に絶望してしまう気持ちも理解できる。それでも「君はずっと故郷で暮らして、僕より素敵な人と結婚してください」とは、悲観が過ぎて自惚れた言い草だ。彼女は彼女の人生を生きていて、どこに住もうが、誰と結婚しようがしまいが勝手のはずだ。そんなこともわからないくらい自己中心的に落ち込んでいる彼には同情の余地はない。
そんな救いようのない歌詞だが、私はこの歌が好きだ。それはフォークソング調で親しみやすい曲調によるもので、まさに音楽の力だ。『悲しくてやりきれない』というフォークソングと同じだ。「悲しくてやりきれない」と歌いながら、どこかで救いを感じているのだ。
ところで、「少し悪いこと」とは何だろうか。色々と想像して楽しめる。「少し」なので本格的な悪事つまり犯罪ではないのだろう。違法ドラッグ、振り込め詐欺、アパートで大麻の栽培とかではないだろう。賭け麻雀とか、未成年の飲酒、電車のキセル(電子化された現代では死語?)といった軽度の違法行為の類か。あとは風俗店に行くとか、大学の講義の代返とかいった道義的な「悪いこと」か。
『もう森へ帰ろうか』。
この歌も都会での挫折の歌だ。夢を追いかけて都会に来たが、ここには何もなかった。もう帰ろうと歌う。
この歌も救いがないが、清らかなメロディーがその救いのなさを中和している。否、森に帰れば何もかも忘れて昔のように幸福に暮らせると信じることで救いを見出しているのだろう。「探し求めた青い鳥は自分の家にいた」という寓話を歌にしたような楽曲だ。
ところで「手ぶらでもいい」とは、松田丈志の「北島さんを手ぶらで帰せない」という名言を意識したものだろう。
『夜明けの孤独』。
平手友梨奈のソロ曲。『山手線』の時と比べたら、格段に表情が豊かになっている。やはり場数を踏むということは大事なことだ。もう2年以上、センターとしてパフォーマンスを続けて来たのだから、歌声の端々に自信と存在感がにじみ出ている。
歌詞は、夜明けに家出した少年の歌のようだ。AKB48にも『家出の夜』という歌がある。「命の使い道を探す」というフレーズは『命の使い道』からの引用だろう。
楽曲としては地味だが、しみじみとした味わいがあり、何回も聴きたくなる。「生きるとは孤独になること」というありきたりなフレーズが心に響く。
『バスルームトラベル』。
長濱ねる、尾関梨香、小池美波の3人のユニット曲。NHKの『欅坂46SHOW』で歌っているところを見たが、振り付けも含め、可愛らしさを強調したお洒落な楽曲だ。
歌詞の内容は他愛ない。入浴中、排水溝に吸い込まれて行くという夢想、妄想を歌ったものだ。兎の穴に迷い込む『不思議の国のアリス』に着想を得たのかもしれない。
「気づいたら裸ん坊の私」というフレーズが、中高生の健全な性欲を刺激する部分。彼女たちの入浴シーンを想像してエッチな気分になっている中高生は全国に数えきれないくらいいるだろう。
『半分の記憶』。
ハードな失恋ソングだ。AKB48『細雪リグレット』とか木下百花『プライオリティー』といった楽曲に相通じるものがある。
半分の記憶とは、同じ恋愛でも僕と君では別々の見方、感じ方をしていたのだと気付いたということを表現しているのだろう。
「半分」がタイトルに付く曲と言えば、小泉今日子『半分少女』だ。まだKyon2になりきっていない頃の彼女のアナクロっぽさと爽やかさが絶妙にブレンドされた傑作。それからCoCo『はんぶん不思議』もグループアイドルの魅力をぎゅっと凝縮した佳曲。草野球が出てくる。中森明菜『1/2の神話』も『半分少女』と同様、半分大人で半分子どもだと歌っているのだが全く異なるテイストで迫力ある曲。河合奈保子『ハーフムーン・セレナーデ』は、月が似合うアイドル河合奈保子の美声を堪能できるメロディアスな名曲。素晴らしい曲ばかりだ。
『イマニミテイロ』。
けやき坂46のメンバーが歌っている曲だ。歌詞の状況がいまひとつ理解できない。大人たちに何かをやってみろと言われて、やってはみたが上手くいかず、今に見ていろという決意を歌ったもののようだ。
おそらく自己言及ソング、楽屋落ちなのだろう。けやき坂46単独のライブか何かやったのだろうか、そういうグループ内の特殊な状況を分かったファンにしか楽しめない楽曲なのだろう。こういう歌はどうしても好きになれない。長濱ねる『乗り遅れたバス』とかNMB48『理不尽ボール』とかも同じような楽曲だ。
『ガラスを割れ!』。
欅坂お得意のメッセージソングだ。飼い慣らされた犬にならず、ガラスを割って外に飛び出せという比喩が全編続いている歌詞だ。
『サイレントマジョリティー』や『不協和音』と比べると、この曲の特徴は大衆性だ。歌詞がわかりやすいし、サビのメロディーが非常に大衆的だ。「目の前のガラスを割れ 握りしめた拳で」という部分など、カラオケで気持ちよく歌えそうだ。「騒げ」「叫べ」「生きろ」という合いの手にはその気持ちよさを破る違和感があり、それが欅坂らしさか。
犬に喩えた歌詞と言えば、古いが小椋佳『さらば青春』を思い出す。ガラスを割る歌詞と言えば、尾崎豊『卒業』を思い出す。あるいは最近よく言われる「女性にはガラスの天井がある」という比喩。そのような、普遍的に歌われ語られてきた「閉塞感を打ち破れ」というわかりやすいテーマを歌ったメッセージソングである。曲の細部まで気が配られていて、完成度の高い曲だと思う。
『ゼンマイ仕掛けの夢』。
カップリング曲で一番気に入っているのはこの曲だ。ゆいちゃんずの2人によるデュエット曲だが、過去の2人の曲と同様フォークソング調で、親しみやすいサウンドだ。
しかし、歌詞は非常に陰鬱で救いようのない暗い青春を歌っている。大学に合格し、田舎に恋人を残して上京したが、すぐに自堕落な生活に陥り自信喪失してしまっている男。これは30数年前の私のことだ。「講義をサボりずっとアパートで寝ていた」「バイトと遊びに明け暮れ、少し悪いこともした」自分は人生の落伍者で、君にはふさわしくないからもう忘れてくれと歌っている。
「片方が上京した恋人たちはやがて別れる」という定理を『木綿のハンカチーフの呪縛』と呼んでいるが、この曲もまたその定理をテーマとしている。欅坂46は『青空が違う』で、この定例に抗って別れないカップルの歌を歌ったが、今回は定理通りに別れてしまいそうなカップルの歌だ。
それにしてもこの男は悲観的過ぎる。田舎では秀才と言われ、意気揚々と上京したが、その出鼻をくじかれたのだろう。それだけで人生全部を悲観してしまう必要はないのだが、上京前の人生と比べてあまりの格差に絶望してしまう気持ちも理解できる。それでも「君はずっと故郷で暮らして、僕より素敵な人と結婚してください」とは、悲観が過ぎて自惚れた言い草だ。彼女は彼女の人生を生きていて、どこに住もうが、誰と結婚しようがしまいが勝手のはずだ。そんなこともわからないくらい自己中心的に落ち込んでいる彼には同情の余地はない。
そんな救いようのない歌詞だが、私はこの歌が好きだ。それはフォークソング調で親しみやすい曲調によるもので、まさに音楽の力だ。『悲しくてやりきれない』というフォークソングと同じだ。「悲しくてやりきれない」と歌いながら、どこかで救いを感じているのだ。
ところで、「少し悪いこと」とは何だろうか。色々と想像して楽しめる。「少し」なので本格的な悪事つまり犯罪ではないのだろう。違法ドラッグ、振り込め詐欺、アパートで大麻の栽培とかではないだろう。賭け麻雀とか、未成年の飲酒、電車のキセル(電子化された現代では死語?)といった軽度の違法行為の類か。あとは風俗店に行くとか、大学の講義の代返とかいった道義的な「悪いこと」か。
『もう森へ帰ろうか』。
この歌も都会での挫折の歌だ。夢を追いかけて都会に来たが、ここには何もなかった。もう帰ろうと歌う。
この歌も救いがないが、清らかなメロディーがその救いのなさを中和している。否、森に帰れば何もかも忘れて昔のように幸福に暮らせると信じることで救いを見出しているのだろう。「探し求めた青い鳥は自分の家にいた」という寓話を歌にしたような楽曲だ。
ところで「手ぶらでもいい」とは、松田丈志の「北島さんを手ぶらで帰せない」という名言を意識したものだろう。
『夜明けの孤独』。
平手友梨奈のソロ曲。『山手線』の時と比べたら、格段に表情が豊かになっている。やはり場数を踏むということは大事なことだ。もう2年以上、センターとしてパフォーマンスを続けて来たのだから、歌声の端々に自信と存在感がにじみ出ている。
歌詞は、夜明けに家出した少年の歌のようだ。AKB48にも『家出の夜』という歌がある。「命の使い道を探す」というフレーズは『命の使い道』からの引用だろう。
楽曲としては地味だが、しみじみとした味わいがあり、何回も聴きたくなる。「生きるとは孤独になること」というありきたりなフレーズが心に響く。
『バスルームトラベル』。
長濱ねる、尾関梨香、小池美波の3人のユニット曲。NHKの『欅坂46SHOW』で歌っているところを見たが、振り付けも含め、可愛らしさを強調したお洒落な楽曲だ。
歌詞の内容は他愛ない。入浴中、排水溝に吸い込まれて行くという夢想、妄想を歌ったものだ。兎の穴に迷い込む『不思議の国のアリス』に着想を得たのかもしれない。
「気づいたら裸ん坊の私」というフレーズが、中高生の健全な性欲を刺激する部分。彼女たちの入浴シーンを想像してエッチな気分になっている中高生は全国に数えきれないくらいいるだろう。
『半分の記憶』。
ハードな失恋ソングだ。AKB48『細雪リグレット』とか木下百花『プライオリティー』といった楽曲に相通じるものがある。
半分の記憶とは、同じ恋愛でも僕と君では別々の見方、感じ方をしていたのだと気付いたということを表現しているのだろう。
「半分」がタイトルに付く曲と言えば、小泉今日子『半分少女』だ。まだKyon2になりきっていない頃の彼女のアナクロっぽさと爽やかさが絶妙にブレンドされた傑作。それからCoCo『はんぶん不思議』もグループアイドルの魅力をぎゅっと凝縮した佳曲。草野球が出てくる。中森明菜『1/2の神話』も『半分少女』と同様、半分大人で半分子どもだと歌っているのだが全く異なるテイストで迫力ある曲。河合奈保子『ハーフムーン・セレナーデ』は、月が似合うアイドル河合奈保子の美声を堪能できるメロディアスな名曲。素晴らしい曲ばかりだ。
『イマニミテイロ』。
けやき坂46のメンバーが歌っている曲だ。歌詞の状況がいまひとつ理解できない。大人たちに何かをやってみろと言われて、やってはみたが上手くいかず、今に見ていろという決意を歌ったもののようだ。
おそらく自己言及ソング、楽屋落ちなのだろう。けやき坂46単独のライブか何かやったのだろうか、そういうグループ内の特殊な状況を分かったファンにしか楽しめない楽曲なのだろう。こういう歌はどうしても好きになれない。長濱ねる『乗り遅れたバス』とかNMB48『理不尽ボール』とかも同じような楽曲だ。