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Channel: AKB48 チームBのファンより
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思い出のその分だけ美しく。渡辺麻友の思い出。(ときめき研究家)

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まゆゆが芸能活動終了を発表してから、彼女の作品に関して記事を3本掲載した。
今日までずっと頑張って来たよね。渡辺麻友が引退。(出演ドラマを振り返る)
誰かといつも競わなくていいんだ。ソロ歌手渡辺麻友の魅力を振り返る。
渡辺麻友のデュエット曲を振り返る。

そこでは書ききれなかったアイドル渡辺麻友の思い出を記したい。

私がナッキーさんに誘われて初めてAKB48を観たのは2007年。チームBは「会いたかった」公演をやっていた。私は、チームAから移籍して先輩としてチームを仕切っている浦野一美のファンになった。
まゆゆは当時からチームBの絶対エースで、そのルックスやパフォーマンスは既に完成されていた。私が推さなくても大丈夫というか、まゆゆは皆のまゆゆだというような感覚だった。

アイドル鑑賞から少し遠ざかっていたが、AKB48には惹かれるものがあり、2008年1月発売のオリジナルアルバム『SETLIST』も購入し、過去の曲も聴いた。
2008年3月にチームBの初オリジナル「パジャマドライブ」公演が始まり、劇場に通う回数も増えた。
このブログ「チームBのファンより」に初めて投稿したのも2008年8月である。その後12年間で730本の投稿を続けるとは思いもよらなかった。
「パジャマドライブ」公演曲は2009年リクエストアワーで、1位『初日』、3位『てもでもの涙』、6位『パジャマドライブ』、9位『純情主義』と上位を席巻し、当ブログライターたちは溜飲を下げた。こうしたチームBの躍進の中心には、当然のようにまゆゆがいた。

渡り廊下走り隊が結成され、CDデビューしたのは2009年1月である。2014年2月に解散するまで、まゆゆは中心メンバーとして活躍した。同年代の仲間たちとのリラックスした雰囲気が良かったし、バラエティ豊かな楽曲が揃っていた。
渡り廊下走り隊の思い出。

チームB「アイドルの夜明け」公演を初めて観たのは2009年4月。好きな曲が多く、一番多く劇場で観た公演だ。

チームシャッフルがあり、浦野一美がチームBを去ってからは、迷いなくまゆゆ一推しとなった。
新生チームB「シアターの女神」公演は、2010年5月の初日を幸運にも最前列で観ることができた。ウエディングドレス風衣装のまゆゆを間近に見てどぎまぎしたことを鮮明に覚えている。

2014年の第6回選抜総選挙で、まゆゆは念願の1位を獲得する。遅きに失した感はあるが、アイドルの王道をひたすら歩んできたまゆゆが報われたことは良かった。センターとしてどんな曲を与えられるか期待し、いろいろな妄想もした。

実際に与えられた曲が『心のプラカード』。残念だが、前田敦子の『フライングゲット』、大島優子の『ヘビーローテーション』、指原莉乃の『恋するフォーチュンクッキー』のような、AKB48ファン以外の人にも認知される代表曲にはならなかった。悪い曲ではなかったのだが。

まゆゆにも卒業の時が来た。2017年11月の卒業コンサートは万感の思いで観戦した。
その年の大晦日、NHK紅白歌合戦で『11月のアンクレット』のセンターを務めたのを最後に、AKB48としての活動を終了した。

その後、ミュージカル『アメリ』での主演、朝ドラ『なつぞら』への出演でも元気な姿を見せてくれた。今にして思えば、この2年間は少し長めのカーテンコールだったのかもしれない。

通算13年以上、まゆゆには沢山のときめきを感じさせてもらった。これほど長い期間活躍したアイドルはそういない。山口百恵は7年間、キャンディーズは6年間、ピンクレディーは5年間だ。松田聖子は1980年デビューで現在もアイドルと言えなくもないが、結婚までを一区切りとすると5年間だ。
もちろんアイドルの活躍期間は長ければいいというものではない。アイドルの輝きは一瞬だから、その時々に輝いていなければ意味がない。まゆゆはその時々の年齢なりにアイドルらしい高いパフォーマンスを発揮し続け、ゆっくり時間をかけて大人になって行った稀有な例だ。AKB48の主力メンバーとして、渡り廊下走り隊の中心として、ソロ歌手として、女優として、まゆゆは最後までアイドルだった。

生身の渡辺麻友は芸能活動を終了したが、彼女の残した歌声はこれからも永遠に鑑賞し続けられる。企画派、楽曲派、在宅派アイドルファンの私は幸福だ。

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