欅坂46から改名した櫻坂46の最初のシングルが出た。
カップリング曲を含めCDとして発売されるのは本当に久しぶりで、そのことだけで純粋に嬉しい。
『Nobody’s fault』を訳せば、「誰も悪くない」「誰のせいでもない」といったところだろうか。
中島みゆきの『誰のせいでもない雨が』と言う古い曲を思い出してしまう。いろんな解釈ができるが、例えば学生運動に挫折した若者の無念さを想像できるような楽曲だ。あるいは佐野量子の『4月のせいかもしれない』は秋元康作詞だが、「君じゃない、僕じゃない、別れのその訳は4月のせいかもしれない」と歌っていた。誰も責められない運命、成り行きといったものがあって、自分を責めなくてもいいと慰める歌だった。
しかし『Nobody’s fault』の歌詞をよく聴くと、少し違っていて、「誰か他の人のせいじゃない、自分自身の責任だ」という意味であることがわかる。信念を持って、他人に流されずに生きて行く覚悟を歌っていて、これまでの欅坂46のシングル曲のコンセプトを引き継いでいる楽曲なのだ。
いや、他人のせいにしたり、絶望したりしそうになる「弱さ」に向き合っている点で、これまでの曲以上にシビアな歌詞とも言える。「洗っても落ちない泥」にまみれながらも生きて行かねばならない孤独を、重苦しい曲調に乗せて歌っているこの曲は、聴いていて苦し過ぎる。
絶対的なセンター平手友梨奈が脱退し、グループ名まで変えたのだから、思い切ったイメージチェンジをして来るのではないかと予想したが、その予想は外れた。考えてみれば、これまで積み重ねてきたグループの資産を捨ててしまうのは惜しい。その資産の上に、また新たな歴史を刻んでいく道を選んだのだろう。それもまた試練の道だろうが、一つの選択だ。
最近ずっと聴いていたNiziUの『MAKE ME HAPPY』が文字通り聴き手をハッピーにする楽曲だとすれば、櫻坂46の数々の楽曲は、そして『Nobody’s fault』も、聴き手をシリアスにする楽曲だ。その余りの落差には呆然とする。しかし、世の中にはどっちも必要だ。
カップリング曲を含めCDとして発売されるのは本当に久しぶりで、そのことだけで純粋に嬉しい。
『Nobody’s fault』を訳せば、「誰も悪くない」「誰のせいでもない」といったところだろうか。
中島みゆきの『誰のせいでもない雨が』と言う古い曲を思い出してしまう。いろんな解釈ができるが、例えば学生運動に挫折した若者の無念さを想像できるような楽曲だ。あるいは佐野量子の『4月のせいかもしれない』は秋元康作詞だが、「君じゃない、僕じゃない、別れのその訳は4月のせいかもしれない」と歌っていた。誰も責められない運命、成り行きといったものがあって、自分を責めなくてもいいと慰める歌だった。
しかし『Nobody’s fault』の歌詞をよく聴くと、少し違っていて、「誰か他の人のせいじゃない、自分自身の責任だ」という意味であることがわかる。信念を持って、他人に流されずに生きて行く覚悟を歌っていて、これまでの欅坂46のシングル曲のコンセプトを引き継いでいる楽曲なのだ。
いや、他人のせいにしたり、絶望したりしそうになる「弱さ」に向き合っている点で、これまでの曲以上にシビアな歌詞とも言える。「洗っても落ちない泥」にまみれながらも生きて行かねばならない孤独を、重苦しい曲調に乗せて歌っているこの曲は、聴いていて苦し過ぎる。
絶対的なセンター平手友梨奈が脱退し、グループ名まで変えたのだから、思い切ったイメージチェンジをして来るのではないかと予想したが、その予想は外れた。考えてみれば、これまで積み重ねてきたグループの資産を捨ててしまうのは惜しい。その資産の上に、また新たな歴史を刻んでいく道を選んだのだろう。それもまた試練の道だろうが、一つの選択だ。
最近ずっと聴いていたNiziUの『MAKE ME HAPPY』が文字通り聴き手をハッピーにする楽曲だとすれば、櫻坂46の数々の楽曲は、そして『Nobody’s fault』も、聴き手をシリアスにする楽曲だ。その余りの落差には呆然とする。しかし、世の中にはどっちも必要だ。