昨年発売されていたCDだが、最近になって配信で購入、鑑賞した。
少し前に聴いていた櫻坂46『Nobody’s fault』やカップリング曲と比べると、とても分かりやすい曲ばかりだ。それはどちらが良い悪いということではなく、どちらにもそれぞれの良さがある。
『恋なんかNo thank you』。
サビ先の、いかにもシングル曲らしい楽曲だ。
別離に当たって、「優しくしないで冷たくして、もう逢いたくないと思うくらいちゃんと傷つけて」と相手の男に要求している。それは強がりで、本当は未練もあるのだろうが、健気な気持ちがいじらしい。
恋人にならずに友達のままでいた方がよかったかな、という歌詞は、『ビーチサンダル』や『友達のままで』を連想する。でも、この2人はなるべくして恋人になったのだろう。
もしあなたに会わなければ、今頃結婚してラブラドールを飼っていた、という歌詞は『ラブラドールレドリバー』を念頭に置いた歌詞と思われ、ニヤニヤする。
『アイラブ豚まん』。
肉まんのことを関西では豚まんと呼ぶようだ。歌詞中に出て来る「551蓬莱」は最近では関東でも有名になっていて、関西土産としていただくこともある。関東で言うなら崎陽軒のシュウマイのような位置づけかと推察する。ここまで店名、商品名を連呼するということは、今頃関西ローカルではCMソングとして流れているのではなかろうか。
喧嘩をしても一緒に何か食べると仲直りできるという、このカップルは幸福だ。もしかしたら彼女の方は、『オーマイガー』で、ジャージ姿のままコロッケを頬張っていた女の子なのかもしれない。
『青春念仏』。
青春の煩悩、焦燥、無力感、そういったじたばたの日々を歌っている。同じようなテーマでも坂道グループだともう少し気取った感じの曲調になるのだろうが、NMBだとベタでどこかユーモラスだ。この歌は気に入った。
あれこれ思い悩んでいる呟きを「念仏」と喩える自虐性は大阪人のメンタリティか。「部活もねえ、バイトもねえ、あれもねえ これもねえ」と無い無い尽くしを歌う部分は、吉幾三『おら東京さ行くだ』を想起させる。あるいは、関西の仏教系高校の青春を描いたみうらじゅんの自伝的小説『色即ぜねれーしょん』を思い出す。映画化されて堀ちえみが出演している。
『ダンシングハイ』。
NMB48らしいコテコテのダンスミュージック。往年の『HA!』などを思い出す。
こういう歌は歌詞など気にしても仕方がない。「ダンシングハイ、ハイ、ハイになって踊り明かそう」というサビは、「灰になって」と聞こえて仕方がない。「燃え尽きて」という歌詞もあるから、「灰」の意味も掛けているのだろう。
『一番好きな花』。
吉田朱里の卒業ソングだと、一聴してすぐ分かる。
また『強い花』『思い出せない花』に続く花3部作と言える。
いつも書いているが、卒業ソングは、本人とファンが気持ちよく歌え、聴ける曲ならそれでいいのだと思う。吉田朱里のことは、NMB48一期生で中心メンバーとして活躍して来たということくらいしか分からないが、卒業ソングを与えられ、じっくり歌い上げているので、幸福な卒業なのだろう。
自分の一番好きな花を一人で探しに行こうと歌っている。彼女の一番好きな花が見つかり、大きく咲くことを祈っている。
『我が友よ、全力で走っているか』。
気持ちよい青春回顧ソングだ。学生時代、始業チャイムに急かされ全力で走ったという回想は、『シンクロときめき』や『制服の羽根』を思い出させる。息が弾み、汗が落ちるというのは、AKBグループの常套句で、『スカートひらり』の前田敦子ソロパートから、一体何曲で踏襲されて来たのか数えきれない。
この曲は、あの頃と同じように、我が友よ全力で走っているか?と問いかけている。ここで走るというのは比喩であって、全力で生きているか、夢を追いかけているかという意味だ。
「僕らの10年」と歌っているからには、卒業してから10年なのだろう。創設して10年経つNMB48自身のことも重ねているような歌詞とも言える。そう言えば10年前にも『青春のラップタイム』という、息を切らし、汗びっしょりになって全力で走る歌があった。
『告白の空砲』。
『投げキッスで撃ち落とせ』『バズーカ砲発射』『ロマンス拳銃』『砂浜でピストル』『DA DA マシンガン』『ライフルガール』『キスの手裏剣』と連綿と続いてきた銃器シリーズの最新作。今度は「空砲」と来た。次々によく考えるものだ。格好つけて言っているが、要するに告白しようとしてもできないことを「空砲」と歌っているのだ。ヘタレな思いと大袈裟な曲調が妙に似合っていて、印象に残る。
少し前に聴いていた櫻坂46『Nobody’s fault』やカップリング曲と比べると、とても分かりやすい曲ばかりだ。それはどちらが良い悪いということではなく、どちらにもそれぞれの良さがある。
『恋なんかNo thank you』。
サビ先の、いかにもシングル曲らしい楽曲だ。
別離に当たって、「優しくしないで冷たくして、もう逢いたくないと思うくらいちゃんと傷つけて」と相手の男に要求している。それは強がりで、本当は未練もあるのだろうが、健気な気持ちがいじらしい。
恋人にならずに友達のままでいた方がよかったかな、という歌詞は、『ビーチサンダル』や『友達のままで』を連想する。でも、この2人はなるべくして恋人になったのだろう。
もしあなたに会わなければ、今頃結婚してラブラドールを飼っていた、という歌詞は『ラブラドールレドリバー』を念頭に置いた歌詞と思われ、ニヤニヤする。
『アイラブ豚まん』。
肉まんのことを関西では豚まんと呼ぶようだ。歌詞中に出て来る「551蓬莱」は最近では関東でも有名になっていて、関西土産としていただくこともある。関東で言うなら崎陽軒のシュウマイのような位置づけかと推察する。ここまで店名、商品名を連呼するということは、今頃関西ローカルではCMソングとして流れているのではなかろうか。
喧嘩をしても一緒に何か食べると仲直りできるという、このカップルは幸福だ。もしかしたら彼女の方は、『オーマイガー』で、ジャージ姿のままコロッケを頬張っていた女の子なのかもしれない。
『青春念仏』。
青春の煩悩、焦燥、無力感、そういったじたばたの日々を歌っている。同じようなテーマでも坂道グループだともう少し気取った感じの曲調になるのだろうが、NMBだとベタでどこかユーモラスだ。この歌は気に入った。
あれこれ思い悩んでいる呟きを「念仏」と喩える自虐性は大阪人のメンタリティか。「部活もねえ、バイトもねえ、あれもねえ これもねえ」と無い無い尽くしを歌う部分は、吉幾三『おら東京さ行くだ』を想起させる。あるいは、関西の仏教系高校の青春を描いたみうらじゅんの自伝的小説『色即ぜねれーしょん』を思い出す。映画化されて堀ちえみが出演している。
『ダンシングハイ』。
NMB48らしいコテコテのダンスミュージック。往年の『HA!』などを思い出す。
こういう歌は歌詞など気にしても仕方がない。「ダンシングハイ、ハイ、ハイになって踊り明かそう」というサビは、「灰になって」と聞こえて仕方がない。「燃え尽きて」という歌詞もあるから、「灰」の意味も掛けているのだろう。
『一番好きな花』。
吉田朱里の卒業ソングだと、一聴してすぐ分かる。
また『強い花』『思い出せない花』に続く花3部作と言える。
いつも書いているが、卒業ソングは、本人とファンが気持ちよく歌え、聴ける曲ならそれでいいのだと思う。吉田朱里のことは、NMB48一期生で中心メンバーとして活躍して来たということくらいしか分からないが、卒業ソングを与えられ、じっくり歌い上げているので、幸福な卒業なのだろう。
自分の一番好きな花を一人で探しに行こうと歌っている。彼女の一番好きな花が見つかり、大きく咲くことを祈っている。
『我が友よ、全力で走っているか』。
気持ちよい青春回顧ソングだ。学生時代、始業チャイムに急かされ全力で走ったという回想は、『シンクロときめき』や『制服の羽根』を思い出させる。息が弾み、汗が落ちるというのは、AKBグループの常套句で、『スカートひらり』の前田敦子ソロパートから、一体何曲で踏襲されて来たのか数えきれない。
この曲は、あの頃と同じように、我が友よ全力で走っているか?と問いかけている。ここで走るというのは比喩であって、全力で生きているか、夢を追いかけているかという意味だ。
「僕らの10年」と歌っているからには、卒業してから10年なのだろう。創設して10年経つNMB48自身のことも重ねているような歌詞とも言える。そう言えば10年前にも『青春のラップタイム』という、息を切らし、汗びっしょりになって全力で走る歌があった。
『告白の空砲』。
『投げキッスで撃ち落とせ』『バズーカ砲発射』『ロマンス拳銃』『砂浜でピストル』『DA DA マシンガン』『ライフルガール』『キスの手裏剣』と連綿と続いてきた銃器シリーズの最新作。今度は「空砲」と来た。次々によく考えるものだ。格好つけて言っているが、要するに告白しようとしてもできないことを「空砲」と歌っているのだ。ヘタレな思いと大袈裟な曲調が妙に似合っていて、印象に残る。