「前田敦子はキリストを超えた」感想(ナッキー)
前田敦子はキリストを超えた: 〈宗教〉としてのAKB48 (ちくま新書) 濱野 智史 (著) 2012年12年10日初版を最近読みました。
この本のタイトルは、あざとい。
AKB48に興味のない読者の手に取ってもらおうという意図がある。
私はアイドルが文化として継承されていくには、アイドルに関心のない人にアイドルを鑑賞してもらう、関心をもってもらう必要があるという立場なので、このタイトルは、正しい「あざとさ」。
私はAKB48のことをよく知っているので、納得できる部分、それは違うだろうと思った部分を楽しめた。
アイドルを知らない人が読んで楽しめるかは、難しい学問的な論理よりも、AKB48を学問の研究対象としてながめていた筆者が、のめりこみ、はまっていくさまを面白く感じるかによると思う。
思慮分別のある大人が夢中になる「宗教性」が、AKB48にあるのは分かりやすい。
初めて観戦した秋葉原のシアター「僕の太陽」公演(2012年1月29日)にて、ぱるるのレスを受けて、握手権利、総選挙投票権というお布施を買い始めるところ。
「まるで少女マンガの、教室で恋が始まる瞬間のような、視線が思わず合ってしまう瞬間に近い錯覚体験を味わえるのが、劇場という場なのである」132ページ
AKB48の信者となる前に、AKB48をどうとらえていたかについての筆者の表現が、(このブログでもたびたび取り上げている)伝統的アイドル批判に近くて面白かった。
「なぜ、こんな可愛くない子たちがテレビに出ているのか」「なぜ、前田敦子のような子がセンターなのか。」49ページ
濱野氏は、「私のことは嫌いでも、AKBのことは嫌いにならないでください」という発言から、アンチとアイドルの関係を論じて、キリストとの対比にこじつけている。
しかし、アイドルが芸能人として成功するには、他者の批評に耳をかたむけ芸を磨くことは必要だが、アンチを無視する図太い神経が必要である。
前田敦子は、アンチを意識してしまい、それを表現してしまった点で、アイドルをしてファンにいとおしい存在と思わせることはできたが(そして濱野氏はこの発言をきっかけに、アンチAKB48から、AKB48に転んだのだが)、私はあの発言を聞いた時に、「一瞬の輝きを見せて消えていくアイドル」としての前田敦子を意識した。
前田敦子がAKB48を卒業してからの映画出演を、
AKB48時代の人気と比較して、これから消えていくアイドルとみるのか、
それでも女優としての仕事がくるのは、生き残っているアイドルとみるのか、今後の予測はできないが、
AKB48ファンとして、ひまわり組公演の時の輝きの前田敦子の印象のまま、消えて欲しかったという想いはある。
2011年の濱野氏がAKB48に転んだ、あの前田敦子の発言からして余計だし、2011年に総選挙で1位になったことも余計だったと思っている。
濱野氏によると、
「キリストの原罪は、アダムとイヴが犯した神への裏切りの罪を被ったのだから、前田敦子の自己犠牲は人類史的にみて軽く比較するまでもない。」36ページ
「AKB48メンバーが問われる罪とは、普通のどこにでもいそうな少女なのに、堂々と女優や歌手になりたいなどという夢を抱くことが、分不相応でだいそれたこと」39ページ
すでに後日談となったが、この本が出た翌年(つまり今年)の総選挙で1位になった指原莉乃の方が前田敦子より深い罪を負っている。
よりによって、ファンと恋愛をして、セックスをしてしまったという罪を。
指原莉乃の価値は、1位になったことにより、歴代最多アンチ数の座を前田敦子から奪ったこと。
芸能人としての資質が(前田敦子より大きい)指原莉乃は、アンチが多いことを喜んでいるから、濱野氏にキリストと対比されることはない。
この本で、指原莉乃は、ぱるるを評価している先輩として登場する。
そして、アイドルとの疑似恋愛は、見返りがないという文脈で、
「どれだけアイドルに金と時間をつぎこもうとも、実際にそのメンバーと恋愛関係に落ちることはほぼ100%な不可能だし(かつての指原莉乃のような例外は除くとしてもだ)、まして結婚することも子供をつくることもできない。」141ページ
濱野氏は、AKB48から、地下アイドルに進出しており、
地下アイドル潜入記 デフレ社会のなれのはて―新潮45eBooklet [Kindle版] は、アイドルのフィールドワークとして一読の価値があり、さすが学者は体験を思想により体系化することに優れていると思った。
ナッキー
補足:濱野氏の本は、あっちゃん、さっしー、ぱるると愛称で表記しているが、表記を分かりやすくするため芸名とした部分があります。
前田敦子に関する記事を古い順にリンク
前田敦子ファンは一体何をしているのだろう。総選挙でお金を使うこともなかったはずなのに、CD1枚とほぼ同じ料金で鑑賞できるのだから、「苦役列車」を2回、3回と繰り返し見ればいいと思うのだが。
前田敦子のファンはいないのだろうか、アイドル時代は、「ものすごかった」(KC)
普通の女の子がアイドルとして人気が出てしまった前田敦子(KC)
前田敦子の不思議な魅力、それはダンスでもなく、秀でているからでもない(KC )
前田敦子の不思議な魅力、それは「色がない、素の魅力」(KC)
AKB48の一員だから前田敦子を応援した。AKB48でなくなった前田敦子は応援する意味・価値がない。引退は詐欺だ、というファンの声
兒玉遥は、前田敦子の踊りは大きくない、と評した。前田敦子は自分が自分のアンチ。(KC)
映画「苦役列車」 本当に見て欲しい時に…君がいない(ピーナッツ)
前田敦子、BRUTUS表紙 自分は「嘘の塊」だと思うと、発言(KC)
前田敦子の声に強いアイドル性(KC)
前田敦子の後継者は梅田綾乃である。2012年見逃した君たちへDVD「恋愛禁止条例」 13期研究生(ナッキー)
「指原莉乃1位にしらけた」に反論、前田敦子よりずっと可愛くてアイドル性が高い(KC)
指原莉乃と前田敦子の似てるトコ(ピーナッツ)
『クロユリ団地』は、あまり怖くないホラー映画。(ときめき研究家)
「クロユリ団地」前田敦子よかったです。(ナッキー)
あまちゃん、アメ女国民投票は、アイドルの順位とはこうあるべきというモデル(ナッキー)本来、前田敦子は、一回だけ1位になる人材であったことを、あまちゃんの有馬めぐが暗示している。
前田敦子は、「普通の女の子に見える」アイドルであり、「本当に」普通の女の子ではない。ナッキー
山下監督の女優前田敦子評(KC)『私を見て』という押し付けがましさがない。
『もらとりあむタマ子』。だらだらとした至福の時間を楽しんだ。(ときめき研究家)AKBグループのファーストラビットである前田敦子が、卒業後にどのような活躍をするのかは、見届けたいという思いがある。
前田敦子はキリストを超えた: 〈宗教〉としてのAKB48 (ちくま新書) 濱野 智史 (著) 2012年12年10日初版を最近読みました。
この本のタイトルは、あざとい。
AKB48に興味のない読者の手に取ってもらおうという意図がある。
私はアイドルが文化として継承されていくには、アイドルに関心のない人にアイドルを鑑賞してもらう、関心をもってもらう必要があるという立場なので、このタイトルは、正しい「あざとさ」。
私はAKB48のことをよく知っているので、納得できる部分、それは違うだろうと思った部分を楽しめた。
アイドルを知らない人が読んで楽しめるかは、難しい学問的な論理よりも、AKB48を学問の研究対象としてながめていた筆者が、のめりこみ、はまっていくさまを面白く感じるかによると思う。
思慮分別のある大人が夢中になる「宗教性」が、AKB48にあるのは分かりやすい。
初めて観戦した秋葉原のシアター「僕の太陽」公演(2012年1月29日)にて、ぱるるのレスを受けて、握手権利、総選挙投票権というお布施を買い始めるところ。
「まるで少女マンガの、教室で恋が始まる瞬間のような、視線が思わず合ってしまう瞬間に近い錯覚体験を味わえるのが、劇場という場なのである」132ページ
AKB48の信者となる前に、AKB48をどうとらえていたかについての筆者の表現が、(このブログでもたびたび取り上げている)伝統的アイドル批判に近くて面白かった。
「なぜ、こんな可愛くない子たちがテレビに出ているのか」「なぜ、前田敦子のような子がセンターなのか。」49ページ
濱野氏は、「私のことは嫌いでも、AKBのことは嫌いにならないでください」という発言から、アンチとアイドルの関係を論じて、キリストとの対比にこじつけている。
しかし、アイドルが芸能人として成功するには、他者の批評に耳をかたむけ芸を磨くことは必要だが、アンチを無視する図太い神経が必要である。
前田敦子は、アンチを意識してしまい、それを表現してしまった点で、アイドルをしてファンにいとおしい存在と思わせることはできたが(そして濱野氏はこの発言をきっかけに、アンチAKB48から、AKB48に転んだのだが)、私はあの発言を聞いた時に、「一瞬の輝きを見せて消えていくアイドル」としての前田敦子を意識した。
前田敦子がAKB48を卒業してからの映画出演を、
AKB48時代の人気と比較して、これから消えていくアイドルとみるのか、
それでも女優としての仕事がくるのは、生き残っているアイドルとみるのか、今後の予測はできないが、
AKB48ファンとして、ひまわり組公演の時の輝きの前田敦子の印象のまま、消えて欲しかったという想いはある。
2011年の濱野氏がAKB48に転んだ、あの前田敦子の発言からして余計だし、2011年に総選挙で1位になったことも余計だったと思っている。
濱野氏によると、
「キリストの原罪は、アダムとイヴが犯した神への裏切りの罪を被ったのだから、前田敦子の自己犠牲は人類史的にみて軽く比較するまでもない。」36ページ
「AKB48メンバーが問われる罪とは、普通のどこにでもいそうな少女なのに、堂々と女優や歌手になりたいなどという夢を抱くことが、分不相応でだいそれたこと」39ページ
すでに後日談となったが、この本が出た翌年(つまり今年)の総選挙で1位になった指原莉乃の方が前田敦子より深い罪を負っている。
よりによって、ファンと恋愛をして、セックスをしてしまったという罪を。
指原莉乃の価値は、1位になったことにより、歴代最多アンチ数の座を前田敦子から奪ったこと。
芸能人としての資質が(前田敦子より大きい)指原莉乃は、アンチが多いことを喜んでいるから、濱野氏にキリストと対比されることはない。
この本で、指原莉乃は、ぱるるを評価している先輩として登場する。
そして、アイドルとの疑似恋愛は、見返りがないという文脈で、
「どれだけアイドルに金と時間をつぎこもうとも、実際にそのメンバーと恋愛関係に落ちることはほぼ100%な不可能だし(かつての指原莉乃のような例外は除くとしてもだ)、まして結婚することも子供をつくることもできない。」141ページ
濱野氏は、AKB48から、地下アイドルに進出しており、
地下アイドル潜入記 デフレ社会のなれのはて―新潮45eBooklet [Kindle版] は、アイドルのフィールドワークとして一読の価値があり、さすが学者は体験を思想により体系化することに優れていると思った。
ナッキー
補足:濱野氏の本は、あっちゃん、さっしー、ぱるると愛称で表記しているが、表記を分かりやすくするため芸名とした部分があります。
前田敦子に関する記事を古い順にリンク
前田敦子ファンは一体何をしているのだろう。総選挙でお金を使うこともなかったはずなのに、CD1枚とほぼ同じ料金で鑑賞できるのだから、「苦役列車」を2回、3回と繰り返し見ればいいと思うのだが。
前田敦子のファンはいないのだろうか、アイドル時代は、「ものすごかった」(KC)
普通の女の子がアイドルとして人気が出てしまった前田敦子(KC)
前田敦子の不思議な魅力、それはダンスでもなく、秀でているからでもない(KC )
前田敦子の不思議な魅力、それは「色がない、素の魅力」(KC)
AKB48の一員だから前田敦子を応援した。AKB48でなくなった前田敦子は応援する意味・価値がない。引退は詐欺だ、というファンの声
兒玉遥は、前田敦子の踊りは大きくない、と評した。前田敦子は自分が自分のアンチ。(KC)
映画「苦役列車」 本当に見て欲しい時に…君がいない(ピーナッツ)
前田敦子、BRUTUS表紙 自分は「嘘の塊」だと思うと、発言(KC)
前田敦子の声に強いアイドル性(KC)
前田敦子の後継者は梅田綾乃である。2012年見逃した君たちへDVD「恋愛禁止条例」 13期研究生(ナッキー)
「指原莉乃1位にしらけた」に反論、前田敦子よりずっと可愛くてアイドル性が高い(KC)
指原莉乃と前田敦子の似てるトコ(ピーナッツ)
『クロユリ団地』は、あまり怖くないホラー映画。(ときめき研究家)
「クロユリ団地」前田敦子よかったです。(ナッキー)
あまちゃん、アメ女国民投票は、アイドルの順位とはこうあるべきというモデル(ナッキー)本来、前田敦子は、一回だけ1位になる人材であったことを、あまちゃんの有馬めぐが暗示している。
前田敦子は、「普通の女の子に見える」アイドルであり、「本当に」普通の女の子ではない。ナッキー
山下監督の女優前田敦子評(KC)『私を見て』という押し付けがましさがない。
『もらとりあむタマ子』。だらだらとした至福の時間を楽しんだ。(ときめき研究家)AKBグループのファーストラビットである前田敦子が、卒業後にどのような活躍をするのかは、見届けたいという思いがある。