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Channel: AKB48 チームBのファンより
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推し・センターという言葉は40年前にはなかった(ナッキー)

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推し・センターという言葉は40年前にはなかった(ナッキー)

高部知子のファンが、「本来ソロデビューのトップバッターは、私が推している高部知子なのに、二番手の倉沢敦美が先にソロデビューするのが許せなかった。」という理由で倉沢敦美に刃物で切り付けたと書いた後、スポーツ新聞の報道を読んだら、

「事件を起こした理由は、倉沢敦美が生意気だから」

という動機が書いてあったので、私の記憶は間違っているのかな、と心配していたら、栗原裕一郎という方が次の解説をしていました。
もちろん、当時は、「推し」とか「センター」という言葉はありませんでしがた、私の記事は現代のアイドルファンに分かりやすく、現代の言葉でかいたもの。ナッキー

以下引用です。
倉沢敦美刺傷事件
 これが今回のAKB事件には一番似ている。1984年4月8日、倉沢淳美(当時16歳)は、ソロデビュー曲のキャンペーンのため、北海道札幌市でサイン会を行った。終了後、倉沢は、会場出入り口で、一人ずつ握手をしてファンを送り出した。犯人の男は握手の列に並んでおり、自分の順番が来ると、隠し持っていたナイフでいきなり切りつけた。倉沢は右手首を約6cm切られ全治2週間の怪我を負い、男は警備中の警察官に現行犯逮捕された。

 男は26歳の会社員で、警察の取り調べに対し、最初「わけがわからないうちにやってしまった」などと話していて発作的な犯行と思われたが、次第に、高部知子のファンであることが判明する。

 倉沢と高部、高橋真美の3人は、テレビ朝日系の人気バラエティ番組『欽ちゃんのどこまでやるの!?』内で組まれたグループ「わらべ」のメンバーだった。わらべは企画ユニットながら、デビュー曲「めだかの兄弟」が100万枚に迫るヒットになるなどアイドルとして高い人気を獲得したが、その数ヶ月後に、情事の後を思わせる姿でベッドに寝そべりタバコをふかす高部知子の写真が『FOCUS』にすっぱ抜かれた。当時15歳だった高部はこのスクープで芸能人生命をほぼ絶たれた。

 以後わらべは倉沢と高橋の二人組として継続することになり、倉沢はこの事件を受け週刊誌に「高部の分まで頑張る」というコメントを出したのだが、これが犯人の癇に障ったのである。

 この機に乗じて売り込もうしている、そう受け取った犯人は、痛い目に遭わせてやろうとナイフを用意しサイン会に潜入したのだった。

 倉沢はその後3年ほど歌手を続け、10枚のシングルと4枚のアルバムを出したが、わらべ時代のような人気を獲得することはなく、91年頃、芸能界を引退した。

 ……と書くといかにも落ちぶれてしまったようだけれど、倉沢は芸能人時代から付き合っていたオーストラリア人と結婚し、3人の子供にも恵まれた。現在はドバイに住んでおり、セレブな生活とテレビに取り上げられたりしている。
 切りつけた男のその後はわからなかった。

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