指原莉乃1位は、失敗しても、挽回のチャンスがあるという勇気を与えてくれた。日本経済という資本主義にとって好ましい結果(KC)
こちらの記事に対して「何故お前(KC)は、人の気持ちを暗くする記事しか書けないのか」という批判を頂いたので、今日は、とても前向きで、皆さんを明るくする記事を書くことにする。
指原莉乃は、昨年の選抜総選挙で4位に輝いたあとに、失脚した。
このブログでは、「指原莉乃のHKT48移籍は左遷ではなく栄転」と書いたが、もちろんこれは少数意見で、世間の評価は、男性スキャンダルを起こした指原莉乃に対して冷たかった。
失脚して、左遷されたにもかかわらず、博多でHKT48の一員として実績をつみ、
その努力が九州というローカルで認められ、そして選抜総選挙という全国区の舞台で結実する。
こういう組織は、活力を継続することができる。
筆者の個人的な話題で申し訳ないが、会社の同僚と飲みに行くと、会社批判、経営方針に対する不満、経営陣への不満に話題が収斂することが多い。
しかし、私は会社人事を客観的に評価して、例えば、
社長になったAは、課長時代に、スペインの仕事で大きな失敗をしたが、事故後の誠意ある対応が、客先・官庁に評価され、左遷することなく社長に上り詰めた。
あるいは、社長になったNは、課長時代に、アメリカの仕事で、数百億円の赤字を出しがた、若いことから修羅場を潜り抜け実績が評価され、官僚的階段を登りつめたエリートより経営者としてふさわしいという理由で社長に選ばれた
ことを例にあげて、失敗しても、失脚することなく、チャンスが与えられる会社に在籍していることの幸運に感謝しなければならないと説いている。
資本主義の社会で企業が生き残るには、失敗しない官僚エリートでなく、失敗経験のある経営ができる人材を登用するのは鉄則なのであるが、これができていない企業は世の中に多数ある。
前田敦子のように、なんのとりえもないアイドルでもAKB48のセンターとして輝くことができた、という事実からの類推である。エリートである小野恵令奈でなく、一見無能に見える前田敦子をセンターにした判断が秀逸。
しかし、これからは、
「指原莉乃のように恋愛禁止を犯し、失脚したにもかかわららず選抜総選挙1位になったように」という比喩を使うことができる。
資本主義は、チャレンジして失敗しても、チャンスを与えられ、与えられたチャンスをものにすればトップにたてる(あるいは、儲けることができる)社会の仕組みである。
アメノミクスが資本主義という競争社会で成功するには、
チャレンジして、失敗しても再度チャンスがあるから、チャレンジする人が続いていくことが、実感としてもてることが肝要である。
失敗したらチャンスはなく終わりでと思わせる社会は、官僚主義であり、崩壊前の社会主義国(例えば東ドイツ)の社会。
現実には、日本も東ドイツと同じだなと悲観することも多いが、指原莉乃1位は、東ドイルとは異なり日本は、失敗しても頂点にたてる可能性のある社会であることを、
AKB48選抜総選挙で、指原莉乃が証明したことは、
日本の将来にとって、たいへん価値のあることである。
大げさに表現すると、アメノミックスは指原1位により、成功する可能性が高まった。
共産主義には神にはいないが、日本には資本主義の神(の見えざる手)が、指原莉乃に手をさしのべたような気がする。
KC
こちらの記事に対して「何故お前(KC)は、人の気持ちを暗くする記事しか書けないのか」という批判を頂いたので、今日は、とても前向きで、皆さんを明るくする記事を書くことにする。
指原莉乃は、昨年の選抜総選挙で4位に輝いたあとに、失脚した。
このブログでは、「指原莉乃のHKT48移籍は左遷ではなく栄転」と書いたが、もちろんこれは少数意見で、世間の評価は、男性スキャンダルを起こした指原莉乃に対して冷たかった。
失脚して、左遷されたにもかかわらず、博多でHKT48の一員として実績をつみ、
その努力が九州というローカルで認められ、そして選抜総選挙という全国区の舞台で結実する。
こういう組織は、活力を継続することができる。
筆者の個人的な話題で申し訳ないが、会社の同僚と飲みに行くと、会社批判、経営方針に対する不満、経営陣への不満に話題が収斂することが多い。
しかし、私は会社人事を客観的に評価して、例えば、
社長になったAは、課長時代に、スペインの仕事で大きな失敗をしたが、事故後の誠意ある対応が、客先・官庁に評価され、左遷することなく社長に上り詰めた。
あるいは、社長になったNは、課長時代に、アメリカの仕事で、数百億円の赤字を出しがた、若いことから修羅場を潜り抜け実績が評価され、官僚的階段を登りつめたエリートより経営者としてふさわしいという理由で社長に選ばれた
ことを例にあげて、失敗しても、失脚することなく、チャンスが与えられる会社に在籍していることの幸運に感謝しなければならないと説いている。
資本主義の社会で企業が生き残るには、失敗しない官僚エリートでなく、失敗経験のある経営ができる人材を登用するのは鉄則なのであるが、これができていない企業は世の中に多数ある。
前田敦子のように、なんのとりえもないアイドルでもAKB48のセンターとして輝くことができた、という事実からの類推である。エリートである小野恵令奈でなく、一見無能に見える前田敦子をセンターにした判断が秀逸。
しかし、これからは、
「指原莉乃のように恋愛禁止を犯し、失脚したにもかかわららず選抜総選挙1位になったように」という比喩を使うことができる。
資本主義は、チャレンジして失敗しても、チャンスを与えられ、与えられたチャンスをものにすればトップにたてる(あるいは、儲けることができる)社会の仕組みである。
アメノミクスが資本主義という競争社会で成功するには、
チャレンジして、失敗しても再度チャンスがあるから、チャレンジする人が続いていくことが、実感としてもてることが肝要である。
失敗したらチャンスはなく終わりでと思わせる社会は、官僚主義であり、崩壊前の社会主義国(例えば東ドイツ)の社会。
現実には、日本も東ドイツと同じだなと悲観することも多いが、指原莉乃1位は、東ドイルとは異なり日本は、失敗しても頂点にたてる可能性のある社会であることを、
AKB48選抜総選挙で、指原莉乃が証明したことは、
日本の将来にとって、たいへん価値のあることである。
大げさに表現すると、アメノミックスは指原1位により、成功する可能性が高まった。
共産主義には神にはいないが、日本には資本主義の神(の見えざる手)が、指原莉乃に手をさしのべたような気がする。
KC