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Channel: AKB48 チームBのファンより
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日向坂46『卒業写真だけが知っている』を聴く。(ときめき研究家)

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これも1つの卒業ソングなのだろう。
しかしこの歌の「僕」は、今現在卒業しようとしているわけではない。
卒業して何年も経つのに、卒業後一度も会えていない片思いの彼女のことを一途に思い続け、「今でも好きだ」「一生好きでいる」「あの時告白していれば今一緒にいてくれたかな」と、いじましい思いを歌っている。いじましすぎて少し怖いくらいだ。

告白できなかったのは、彼女も自分を好きなのか確信が持てなかったからだろう。つまりは断られるのが怖かったからだ。告白しない限り、両思いになる可能性はゼロだが、断られる恐れもない。その両方の可能性の間で揺れる心のまま、行動に移せず、時間だけが過ぎて行ったのだ。それはそれで幸福な時間だと捉えることもできるだろう。AKBグループや坂道グループの多くの楽曲も片思いの幸福を歌っている。
通常ならば時間とともに徐々に思いは薄れて行き、また新たな恋や片思いに出会ったりして、一人の彼女を思い続ける気持ちは「片思い」から「思い出」に変わるものだ。でも彼はそうではなかった。それほど彼女が魅力的だったのか。彼の思いが強かったのか。それは分からないが、ここまで来ると「片思いの幸福」とも言っていられない気もする。

この曲の一番の聴きどころは、エンディングも終わり、後奏に重なっているナレーションだ。
「私も好きだったのに」
この一言は、今現在片思いで悩む中高生には希望と勇気を与える。自分の片想いの相手も自分を好きでいてくれるのではないかと、背中を押される気になるだろう。
この一言は、かつて片思いで悩んでいた中高年には甘美な後悔を与える。やっぱりそうだったんだなという安心感と、そうと知っていれば思い切って告白すればよかったという後悔だ。

こういう「答え合わせ」のような歌詞は珍しい。一種禁じ手のような歌詞だ。彼女の気持ちがわからないから歌になるのだし、聴き手があれこれ想像する余地を残すのが一般的だ。
しかしよく考えれば、この曲の「私も好きだったのに」というナレーションは、正式な歌詞ではない。歌詞が終わったあとのオマケ、追伸のような位置づけだ。
この歌の歌い手である「僕」にはこのナレーションは聴こえていないはずだ。だから彼はこれからも行動しないのだろう。
別の解釈を書くなら、「私も好きだったのに」というナレーションは彼の幻聴とも解釈できる。卒業写真の彼女がそう話す言葉が彼の耳には聞こえたのだ。自分で思いついたが、これはちょっと怖い解釈だ。

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