STU48の新曲を久しぶりに聴いた。少しほろ苦い曲調と歌詞の内容に驚いた。何と言うか、STU48っぽくないのだ。STU48っぽさとは何か? 素朴さ、素直さ、都会的でないところ、そして48グループの中で一番若いチームであることから来るフレッシュさ。私のイメージはそんなところだ。典型的なのは『風を待つ』だ。ワンカット撮影のミュージックビデオが強く印象に残っている。
しかし、よくよく考えればSTU48だっていつまでも「妹チーム」ではないのだ。メンバーも入れ替わったりしながらチームとしての経験も重ねている。だからこんな大人っぽい歌を歌ってもいいのだと気付かされた。
「地平線」というのがまた新鮮だ。STU48ならそこは「水平線」ではないのかと思ってしまうが、あえて変えているのだろう。STU48が海沿い以外を舞台にして歌っても何ら不思議はないと主張している。それでも日本で地平線が見えるところはあまりないと思う。北海道くらいだろうか。これも脱・STUっぽさの一つの表れなのだろう。
歌詞の内容は、しかしよくある状況だ。夢を追って都会に出た男が、田舎(たぶん北海道)に残した恋人に向かって、夢が叶うまであと少し待っていてほしいと歌う。ある意味、ずいぶん陳腐な内容だ。60年代、70年代のフォークソングや歌謡曲で何度も歌われた状況だ。例えば『木綿のハンカチーフ』が典型だ。
『木綿のハンカチーフ』の彼は、都会の絵の具に徐々に染まって行き、田舎の彼女とは手紙で別れてしまう。
一方『地平線を見ているか?』の彼は、まだ都会の絵の具に染まり切っておらず、田舎の彼女とはまだ繋がってビデオ通話などしている。それだけの違いだ。
曲調も非常にノスタルジック。「ゆいちゃんず」の楽曲にテイストが似ている。
しかし、よくよく考えればSTU48だっていつまでも「妹チーム」ではないのだ。メンバーも入れ替わったりしながらチームとしての経験も重ねている。だからこんな大人っぽい歌を歌ってもいいのだと気付かされた。
「地平線」というのがまた新鮮だ。STU48ならそこは「水平線」ではないのかと思ってしまうが、あえて変えているのだろう。STU48が海沿い以外を舞台にして歌っても何ら不思議はないと主張している。それでも日本で地平線が見えるところはあまりないと思う。北海道くらいだろうか。これも脱・STUっぽさの一つの表れなのだろう。
歌詞の内容は、しかしよくある状況だ。夢を追って都会に出た男が、田舎(たぶん北海道)に残した恋人に向かって、夢が叶うまであと少し待っていてほしいと歌う。ある意味、ずいぶん陳腐な内容だ。60年代、70年代のフォークソングや歌謡曲で何度も歌われた状況だ。例えば『木綿のハンカチーフ』が典型だ。
『木綿のハンカチーフ』の彼は、都会の絵の具に徐々に染まって行き、田舎の彼女とは手紙で別れてしまう。
一方『地平線を見ているか?』の彼は、まだ都会の絵の具に染まり切っておらず、田舎の彼女とはまだ繋がってビデオ通話などしている。それだけの違いだ。
曲調も非常にノスタルジック。「ゆいちゃんず」の楽曲にテイストが似ている。