乃木坂46『ネーブルオレンジ』を気に入って、何回も聴いているうちに、いろんなことを考えた。
好きな人の住む街に、アポなしで訪れるという歌は過去にもあった。
一番有名なのは、中森明菜『北ウイング』だろう。成田空港から飛び立つ夜間飛行をドラマチックに歌っている。霧の街(おそらくロンドン)に住む彼は「一度はあきらめた人」とされており、今回もアポなど無しに衝動的に会いに行っていると解釈できる。ただ住所くらいは知っていると思われ、彼に会える可能性は50%くらいだろう。
河合その子『再会のラビリンス』も「あなたが暮らす街」へと最終便に飛び乗った。荷物は何も持っていない。そして実際にその街に着き、ホテルにチェックインし、街を彷徨うが、彼には会えずに帰ることにする。会える可能性は5%もなかっただろう。
AKBグループ、坂道グループにも前例はある。
チームB『愛しきナターシャ』は、ナターシャに会うためにシベリアまで、しかも貨物船で密航する歌だ。明らかに無謀だろう。彼女に会える可能性は2%くらいではないか。
欅坂46『青空が違う』は、東京に住む彼のアパートを突然訪ねる。電車の乗り換えなどで疲れ果ててたどり着いたアパートに、違う女性がいるパターンなのではないかとドキドキしながら聴いたが、そんなことはなく無事に彼と会うことができた。会える可能性は90%以上だっただろう。
渡り廊下走り隊『思い出は遠いほど』は、転校して行った初恋の彼女の街を、バスを乗り継いで訪ねる。彼女が教科書の端に住所を書いてくれたという歌詞があり、会える可能性は70%くらいあるだろう。
そんな中、乃木坂46『ネーブルオレンジ』の彼が彼女に会える可能性は圧倒的に低いだろう。そもそも正確な住所も知らないし、最後に会ってから年月も経ちすぎている。彼女との関係も不明確だ。頼みの綱は、彼女が好きだったネーブルオレンジの香りだけ。会える可能性は0.01%だろう。
フルーツを人間になぞらえた歌も結構たくさんある。過去記事でも紹介した。そもそも果実は植物の生殖行為の産物なのだから、恋愛の歌と親和性があり、艶めかしいのは当然だ。
彼女をオレンジに例えた隠れた名曲を1曲紹介したい。
石野真子『私はオレンジ』は谷山浩子作品。彼女らしく少し怖いメルヘンチックの楽曲だ。軽快で可愛らしいメロディーだが、歌詞はドキリとするような内容だ。
果物屋で自分を買った彼に「私を食べて そして泣いてよ サヨナラと」と歌いかける。刹那的な恋愛の歌とも取れるし、旬が短いアイドルの儚さを歌っているとも解釈できる。
好きな人の住む街に、アポなしで訪れるという歌は過去にもあった。
一番有名なのは、中森明菜『北ウイング』だろう。成田空港から飛び立つ夜間飛行をドラマチックに歌っている。霧の街(おそらくロンドン)に住む彼は「一度はあきらめた人」とされており、今回もアポなど無しに衝動的に会いに行っていると解釈できる。ただ住所くらいは知っていると思われ、彼に会える可能性は50%くらいだろう。
河合その子『再会のラビリンス』も「あなたが暮らす街」へと最終便に飛び乗った。荷物は何も持っていない。そして実際にその街に着き、ホテルにチェックインし、街を彷徨うが、彼には会えずに帰ることにする。会える可能性は5%もなかっただろう。
AKBグループ、坂道グループにも前例はある。
チームB『愛しきナターシャ』は、ナターシャに会うためにシベリアまで、しかも貨物船で密航する歌だ。明らかに無謀だろう。彼女に会える可能性は2%くらいではないか。
欅坂46『青空が違う』は、東京に住む彼のアパートを突然訪ねる。電車の乗り換えなどで疲れ果ててたどり着いたアパートに、違う女性がいるパターンなのではないかとドキドキしながら聴いたが、そんなことはなく無事に彼と会うことができた。会える可能性は90%以上だっただろう。
渡り廊下走り隊『思い出は遠いほど』は、転校して行った初恋の彼女の街を、バスを乗り継いで訪ねる。彼女が教科書の端に住所を書いてくれたという歌詞があり、会える可能性は70%くらいあるだろう。
そんな中、乃木坂46『ネーブルオレンジ』の彼が彼女に会える可能性は圧倒的に低いだろう。そもそも正確な住所も知らないし、最後に会ってから年月も経ちすぎている。彼女との関係も不明確だ。頼みの綱は、彼女が好きだったネーブルオレンジの香りだけ。会える可能性は0.01%だろう。
フルーツを人間になぞらえた歌も結構たくさんある。過去記事でも紹介した。そもそも果実は植物の生殖行為の産物なのだから、恋愛の歌と親和性があり、艶めかしいのは当然だ。
彼女をオレンジに例えた隠れた名曲を1曲紹介したい。
石野真子『私はオレンジ』は谷山浩子作品。彼女らしく少し怖いメルヘンチックの楽曲だ。軽快で可愛らしいメロディーだが、歌詞はドキリとするような内容だ。
果物屋で自分を買った彼に「私を食べて そして泣いてよ サヨナラと」と歌いかける。刹那的な恋愛の歌とも取れるし、旬が短いアイドルの儚さを歌っているとも解釈できる。